本を読むときに、テキストに蛍光ラインや赤線を引いてきました。
でも、引いただけで、そのまま放置されていました。
せっかく、そのときに何かを感じて引いた蛍光ライン・・・
そんな蛍光ラインたちをときどき、ここに書き写して行く事にしました。
でも、引いただけで、そのまま放置されていました。
せっかく、そのときに何かを感じて引いた蛍光ライン・・・
そんな蛍光ラインたちをときどき、ここに書き写して行く事にしました。
18. 『アメリカ・インディアンの歴史』 p162 富田虎男 (雄山閣)
1864年11月29日、東コロラドのサンド・クリークで、残忍きわまりないインディアン虐殺事件がおこった。ジョン・チヴィングトン大佐が率いるコロラド義勇軍は、軍の保護下に平和裡に野営していた友好的なシャイアン族を計画的に襲撃した。戦士たちが狩猟に出た留守をねらって、無抵抗の女と子供(一説では105人)と男(28人)を殺害した。これは「サンド・クリークの虐殺」と呼ばれ、史上いくたびか繰り返されたインディアン虐殺事件のひとつであるが、ウェトナム戦争中のソンミ村でのアメリカ軍による村民虐殺事件のさいに、その歴史的先例として想い起こされた。この虐殺に憤慨したシャイアン族、アラバホ族、スー族など大平原諸部族は、報復に起き上がり、大平原は戦場と化した。
僕らの世代は、アメリカ、西欧は憧れであり、格好よく、おしゃれで、文明も文化も日本より上だと、物心ついたときには多くものが思っていた。十代後半から二十代にはアメリカに猛烈に憧れた。だから、アメリカのことを勉強した。本も読んだ。アメリカに行ってみた。その流れで、インディアンの本も数冊読み、アメリカの裏の歴史を知った。おかげで夢から覚め、少し大人になった。虐殺の歴史を抱えるアメリカ。同じような構図は、私の生まれ故郷北海道でもあった。オーストラリアにも、チベットにも、世界中にあったし、今もある。アメリカ人、日本人に限らず、全ての人間は環境によっては残虐になることを知った。
僕らの世代は、アメリカ、西欧は憧れであり、格好よく、おしゃれで、文明も文化も日本より上だと、物心ついたときには多くものが思っていた。十代後半から二十代にはアメリカに猛烈に憧れた。だから、アメリカのことを勉強した。本も読んだ。アメリカに行ってみた。その流れで、インディアンの本も数冊読み、アメリカの裏の歴史を知った。おかげで夢から覚め、少し大人になった。虐殺の歴史を抱えるアメリカ。同じような構図は、私の生まれ故郷北海道でもあった。オーストラリアにも、チベットにも、世界中にあったし、今もある。アメリカ人、日本人に限らず、全ての人間は環境によっては残虐になることを知った。