本を読むときに、テキストに蛍光ラインや赤線を引いてきました。
でも、引いただけで、そのまま放置されていました。
せっかく、そのときに何かを感じて引いた蛍光ライン・・・
そんな蛍光ラインたちをときどき、ここに書き写して行く事にしました。
でも、引いただけで、そのまま放置されていました。
せっかく、そのときに何かを感じて引いた蛍光ライン・・・
そんな蛍光ラインたちをときどき、ここに書き写して行く事にしました。
35. 『原子力戦争』p218 田原総一郎 (講談社文庫)
岩松忠男は、東電の下請け企業の従業員夫婦に小頭児が生まれたという情報を得た。死産なのが、生まれてすぐに死んだのかははっきりしなかった。彼はすぐに映画で見た広島の原爆による小頭児のことを思い出した。ただちに調査にとりかかったが、夫婦は既に引っ越していて行方がかわからず、企業や近所の人たちは例によって完黙だった。「これはだめだな、と思っていたら、若い新聞記者が手伝ってくれましてねぇ。白血病のときの記者じゃない。東京のもう一つの新聞社の記者でして、彼が実によくやってくれたので、その後の白血病のときもつい新聞記者を信用してしまった次第なのですよ」その新聞記者は、奥さんと子供のカルテまで手に入れた。夫は放射線管理区域で働いていて、鼻血が止まらないとか、髭をそったら地が止まらなくなったなどいうことがよくあり、肝臓病でしばらくぶらぶらしていたらしい、ということもわかった。「彼は万全を期するためにさらに小頭児の父親の被爆者手帳や、小頭児についての医者の証言をとるのだと張り切っていたのですが、取材の途中で突如本社に転任になってしまったのですよ。残念だと、歯ぎしりをしていました。彼の動きが東電にキャッチされて、新聞社の本社の上層部に何らかの力が働いたのでしょうね」
70年代半ばにドキュメンタリのようで、フィクションのような曖昧な書き方にして、なんとか、この本を書いた田原総一郎氏には正のエネルギーに満ち溢れていたように思う。30年以上前の著作であるが、福島原発事故後の今、読んでおいてよい一冊だと思う。20代でこの本を読んだ私は闇の大きさにおののき、半分以上はフィクションだと決めつけ、その先は考えないようにしてしまった。今思えば、痛恨の極みだ。若かったのに、田原総一郎氏の勇気に呼応することはなかった。かの田原氏も若さを失ってしまったと見えて、福島原発事故後、テレビで見かける彼からは、正のエネルギーが枯渇しているようだった。
「原子力発電所問題はエネルギー問題ではありませんよ。基本的人権を踏みにじる倫理の問題であり、我々の生存権の問題なんです」と私が密かに尊敬するH氏の言葉が、私にはとても重い。
70年代半ばにドキュメンタリのようで、フィクションのような曖昧な書き方にして、なんとか、この本を書いた田原総一郎氏には正のエネルギーに満ち溢れていたように思う。30年以上前の著作であるが、福島原発事故後の今、読んでおいてよい一冊だと思う。20代でこの本を読んだ私は闇の大きさにおののき、半分以上はフィクションだと決めつけ、その先は考えないようにしてしまった。今思えば、痛恨の極みだ。若かったのに、田原総一郎氏の勇気に呼応することはなかった。かの田原氏も若さを失ってしまったと見えて、福島原発事故後、テレビで見かける彼からは、正のエネルギーが枯渇しているようだった。
「原子力発電所問題はエネルギー問題ではありませんよ。基本的人権を踏みにじる倫理の問題であり、我々の生存権の問題なんです」と私が密かに尊敬するH氏の言葉が、私にはとても重い。