本を読むときに、テキストに蛍光ラインや赤線を引いてきました。
でも、引いただけで、そのまま放置されていました。
せっかく、そのときに何かを感じて引いた蛍光ライン・・・
そんな蛍光ラインたちをときどき、ここに書き写して行く事にしました。
でも、引いただけで、そのまま放置されていました。
せっかく、そのときに何かを感じて引いた蛍光ライン・・・
そんな蛍光ラインたちをときどき、ここに書き写して行く事にしました。
47. 『日本の思想』p129 丸山真男
ササラというのは、ご承知のように、竹の先を細かくいくつにも割ったものです。手のひらでいえばこういうふうに元のところが共通していて、そこから指が分かれて出ている。そういう型の文化をササラ型というわけであります。タコツボっていうのは文字通りそれぞれ孤立したタコツボが並列している型であります。近代日本の学問とか文化とか、あるいはいろいろな社会の組織形態というものがササラ型でなくてタコツボ型であるということが、さきほど言ったイメージの巨大な役割ということと関係してくるんじゃないかと思うわけです。
タコツボ型。日本のこの社会、文化の構造が、近年はより弊害として、作用しているように私は切実に思う。タコツボからタコツボへの移動も、不可能ではないが簡単ではない。一度入ったタコツボ(会社、業界、組織)の外では、技能・実績の評価が正しくされず、人脈もタコツボの外では通用しにくい。その結果、タコツボスペシフィックな人材となってしまい、経験値が偏ったまま、リーダーとなってしまう。対外試合の経験が著しく少ない、内向きで、組織内調整型のリーダーが、年功序列も重視されることもあり、登用されやすい。社会が安定しているときはよいが、これからの変動期には辛い。